「私は競争と評価が大嫌いです」、そして、文化を創ることについて


本内容の続編を「研究とは、嬉々としてモノ作りに励むこと」に公開しました。(1月6日)

 以前、「文化とはなんだろうか?」というブログを公開した。2009年12月14日に開催された「情報技術を文化へ」と題したシンポジウム中の長尾真先生(国立国会図書館長)の講演の紹介と、それに対するコメントであった。

 長尾先生の後、パネル討論をはさんで、原島博先生(東京大学名誉教授)が講演された。
 原島先生は今年3月に東京大学を定年退官され、同月に最終講義を行った。その最後で「私は競争と評価が大嫌いです。」と仰ったそうである。大学は今、競争的外部資金の獲得状況や、教員や大学自体の評価がうるさく問われるようになった。原島先生ご自身、そのようなことに関わるお仕事をいくつもなさっている。その中でのご発言である。

 なぜ自分が「競争と評価」が嫌いなのか、それを深く考えて、世に問いたいと考えたのが、今回のシンポジウム開催の動機とのこと。準備に半年以上を掛け、講演時間一時間半に及ぶ、力の入った講演であった。
 以下は、その講演の、私的な要約とコメントである。

原島先生曰く、なぜ競争と評価が嫌いなのか?

 現在の国の大型研究プロジェクトのやり方は、資金獲得競争の後、採択者には国と研究者の間の「契約」が求められ、契約を履行するという形で研究が進められ、達成度が評価される。そのような形での研究プロジェクトのやり方からは、「新パラダイム」は生まれない。そして、自分が若き日夢見た研究者の姿を思い出してみれば、それは誰もやったことがない、新パラダイムを生み出すような研究であった。
 研究には三つのモードがあるように思う

 モード2が、現在の大型プロジェクトのやり方だ。説明責任が求められる。
 私がやりたいのは、あるいは、やりたかったのは、説明そのものが本質であるような、説明することが嬉しいような研究だ。それがモード3。
 原島先生は、我々が突き当たっている問題を歴史がどのように解いてきたか、昔勉強した歴史の教科書を取り出して、考えてみたそうだ。ヨーロッパの人々は「中世」をどう克服したか? 
 ルネサンス、地理上の発見、宗教改革だ。
 ルネサンスは中世が忘れてきたものをもう一度見なおそうという運動だ。地理上の発見は、現在、宇宙や「情報新大陸」として既に発見が進んでいる。現代における「宗教」は科学だ。中世における宗教改革は、現在において科学を見直すことにある。否定的でなく、建設的に。
 近代は、「科学」と「文化」を分けてしまった。工学分野においても、「科学」を万能的な方法論としてやってきた。技術は「術」だ。これまでは、頭を動かしてから(理論)、手を動かし(実験、実証)、社会に普及させようとする。その反対に、手を動かしてから頭を使うことを考えて良いのではないか。研究ではまず、手を動かすことによってものを生み出し、それを社会に提示する。それによって、文化が生み出される。その文化を分析・深化させ、インスパイアされることによって、ループが形成され研究が進められていく。

私的意見:文化を創ることについて

 原島先生の講演の最後の部分で私が感じたことは、コンピュータ、特に私が専門とするソフトウェアの分野では、米欧においてはそれが既になされてきたのではないかということ。
 その分かりやすい典型は、1970年代に最初に米国AT&Tベル研究所で作られたUnixだ。Unixはケン・トンプソンとデニス・リッチーという2名の歴史的ハッカーにより設計と実装が行われた。そして当時のベル研には、非常に鋭いハッカー的センスをもつ研究者が沢山いた。その一人が、デニス・リッチーと共にC言語を設計したブライアン・カーニハンである。研究所内ではいつでもOSやUnixコマンド、各種ユーティリティのソースコードを参照でき、オンライン/オフラインで議論をしながら、日々改良を重ね、プログラマ・パラダイスともいうべきUnix文化を育んで行った。
 あるいはビットマップ・ディスプレィとマウスを持つワークステーションStarや、LANの一方式であるイーサネットオブジェクト指向プログラミング言語Smalltalkを発明した米国ゼロックス社のパルアルト研究所。
 これらはいずれも、手を動かすことによってものを生み出し、それを研究所内に公開し、そして、社会に公開する。その過程の中で文化が生み出されていった。その文化から枝葉のようにして、各種研究が育まれて行った。
 先の例は1970年代であるが、米国のそのような文化は今日まで続いている。そのよい例がグーグル社だ。グーグル社は秘密主義的なところがあり、内部で使われている技術を部分的にしか開示しないが、ネットワークサービスとして公開されている、外部インタフェースだけからも、独自の「文化」が形成されていることは明白である。
 ヨーロッパはどうか? 米国ほどの隆盛を誇っているわけではないにせよ、イギリス、フランスにはソフトウェア分野で独自の文化を醸成していこうとする空気を感じる。かつてのAlgol言語、イギリスのML、フランスのOCaml等は分かりやすい例だ。Linuxは、フィンランド発ではあるが、その運動は国の壁を超えた、「オープンソースソフトウェア」という新しい文化を気づきあげた。そうそう、米国人リチャード・ストールマンを中心とするGNUのアクティビティも忘れてはいけまい。
 原島先生の講演での指摘は、私も大いに賛同する。原島先生が仰っていなかった、あるいは、強調されていなかったと私が思うのは、原島先生がご指摘されていることは、現在の世界的な傾向でなく、特に日本顕著な現象である、ということだ。日本は「文化」を作ることに対して、もっと意識的でなければならないと思う。日本の科学技術を創ることは、日本の「文化」の一部を創ることと認識し、日本が世界一流の国の一つでありたいと願うのならば、文化を創ることについて前向きでなければならないと思うのだ。

 「文化」を創るためには、研究者やそれを取り巻く環境が、嬉々として競いあうような場が必要である。「嬉々として」が非常に重要だ。「嫌々ながら」ではなく。

日本発のソフトウェア「文化」

 ちなみに日本のソフトウェア文化において「嬉々として」やっている分野が皆無と言うわけではない。そのよい例がRuby言語に関する「文化」だ。オブジェクト指向は米国由来ではあるが、スクリプト言語(あるいはライトウェイト言語)と呼ばれる分野において、ピュアなオブジェクト指向が快適なプログラミング環境をもたらすことを世に知らしめたのはRubyの功績だ。Perl以降のスクリプト言語Perlの影響を受けていると言って過言でないが、Ruby以降のモダンなスクリプト言語もまた、Rubyの影響を受けていると言って過言でないほどだ。そして、Rubyの開発者もユーザも、嬉々としてRubyを論じ、いじっている。

最後に一言

 よもや、「日本が一流の国である必要がありますか?」というような疑問を投げつけられることはないでしょうね。