ドストエフスキーとインターネット,全能感(爆笑問題 vs. 亀山郁夫氏)

 2009年11月17日に放映された、NHK爆笑問題のニッポンの教養亀山郁夫東京外国語大学学長)を迎えてドストエフスキーより愛を込めて」を昨年末、NHKオンラインで見た。視聴期間が2週間しかなく、スケジュールの関係で、終了間際にやっと観ることに成功*1。以下はそれを見ながら記録したメモと、私の私見

 下記が同番組、当回のURLである。写真入り、当日のエピソード入りで大変に興味深いので、一見をお勧めする。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20091117.html

 亀山氏は、ドストエフスキーの最近の一連の新訳で、一躍、有名になった人である。どのような方か、どのようなことを話されるのか、大変に興味があった。2008年に、ロシア最高の文化賞、プーシキン賞を受賞されている。ロシア文学現代日本に広く広めてくれたことは、ロシアにとっても、嬉しかったんだろうね。

 今回の収録場所は大学の研究室ではない。都内のロシア料理店。ロシアの酒と料理を、ロシア人女性に運んでもらいながら、そして言葉を交わしながらの収録。

 冒頭はお酒の話。若いときはウォッカを1本、空けられたそうである。お酒が飲めないとロシアはわからないとか。

 人間は根本的に不幸な存在だ。「救いの処方箋」を探している。愛金、無差別殺傷事件がいくつも起きている。150年前、19世紀ロシアで、既に現在の日本(おそらく、および世界)の状況は予見されていた。

 ドストエフスキーは殺人者の心理を深く描いている。サスペンスだ。中2の時、2週間で罪と罰を読んだ。主人公とシンクロした。翌朝、警察に捕まるのではないかと、びくびくしながら歩いて学校に行った。

 亀山氏は、最近、劇画(&映画)「デスノート」を知ったと言う。そこには、犯罪の美学がモチーフとなっており、ドストエフスキーは今も生きていると感じたという。

 そしてロシアの広漠たる大地が、インターネットの果てしない空間と重なる感じがするという。皮肉なことに、これ以上行き場がない。

 私は、情報分野で約30年間、暮らしている。その間、コンピュータが発展・普及し、また、インタネットが発展・普及する様もずっと観察してきた。そしておそらくは、そのように真っ只中にいたからかこそ、亀山氏が言う、「ロシアの広漠たる大地が、インターネットの果てしない空間と重なる感じ」、「これ以上行き場がない感じ」を自分では気付かなかった。言われて、そうか、社会一般の人はそのような感覚を持つのかと、深く考えさせられた。一種のショックを味わった。

 亀山氏は、爆笑問題に対して、こんな質問をする。
 「人を殺したいほど憎んだことがありますか?」
 これも私にショックを与えた。文学者、文系研究者とは、何と深い問題を扱っているのだろう。人間心理に深く迫ろうとしている。
 人間の心の中には、他人に対して、瞬間的に「消えろ」、と思う感覚を持っている。(コメント:よく言われる、「心の中の闇」というやつか)この感覚を最初に発見したのが、ドストエフスキーではないかと、亀山氏は言う。
 なぜドストエフスキーはそのような発見をしたのか。当時のロシアは、農奴解放で、農奴は開放されたが、生活にお金がかかるようになり、すさまじい犯罪が起きるようになる。豊かさの中で、人間そのものが変質しつつある。人間って、何なのか? 人間としての調和を保ち続けるにはどうしたらいいのか。
 今日、人々は、インターネットの出現・普及で、全能感を味わい尽くしている。ネット世界に吸い込まれていく。

 「罪と罰」の主人公、殺人を犯したラスコーリニコフは、人を殺したこと娼婦ソーニャに告白する。
 
 ソーニャ:「今すぐ、今すぐ、十字路に行ってそこに立つの。そこにまずひざまずいて、あなたが汚した大地にキスするの」
 
 自分の中のすべてが一気に和らいで、涙がほとばしり出た。
 
 広場にひざまずき、地面に頭をつけ、快楽と幸福にみたされながら、汚れた地面に口づけした。

 爆笑問題の大田:救いってあるんだな。宇宙空間に放り出されるのではなく、大地につながっていたい。母親の元にいた頃に戻りたい。でもできないから、断ち切ろうとする。あるいは、母親の記憶がない。

 亀山氏曰く、ドストエフスキー最大のテーマは「黙過」だ。黙って見過ごすこと。人の死を喜ぶこと。そして、母、国とのつながりを切ろうとするが、切れない。

 亀山氏はさらに続ける。秋葉原事件の青年についてどう思いますか? あの青年を裁けますか?

 今の子供は、未来を描かせると、緑の多い未来を描くという。我々が子供の頃は、自動車が空を飛び、壁掛けテレビ、テレビ電話、高層ビル街を描いたような記憶がある。

 今、人々は行くべき場所がない。行くべき大地を欲しているのだ。

 自分を救うのは他人じゃない。自分だ。記憶だ。

 文学とは、何と深いテーマを扱ったものであろう。

 亀山氏の、「教師」風ではなく「助産師」風の語り口に感銘である。

亀山氏訳による「罪と罰

 この番組を見て、以前から興味を持っていた亀山氏訳による「罪と罰」を購入した。一度、ヨドバシカメラ秋葉原店で購入したが、製本の具合がどうも良くない。製本の際の裁断の切れ味が良くなく、ページをぱらぱらとブラウズしたときに指に引っかかる。つくばの大型ショッピングモール「イーアス」の書店で見てみると、綺麗な製本。刷数が1上がっている。印刷所、製本所は同じ。長い付き合いが予感される本なので、思い切って買い直した。

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)


2010年5月24日:誤字を直しました:亀井→亀山

*1:いつも思うが、NHKが完全に著作権保有していると思われるものを、どうして、いつでも視聴可能な状態にできないのか不思議である。(民放を圧迫しないようにでしたっけ?)