どこに原発を作るべきか:寺田寅彦の洞察より

寺田寅彦は随筆家として有名であるが、本業は物理学者、地球科学者である。

寺田は、1934(昭和9)年11月に「天災と国防」なる文書を書いていて、青空文庫でフリーで読める。

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深い洞察に満ちていて、大変に興味深い。この中で今回の原発事故にも関係すると思われる記述を見つけた。その箇所を本文章の最後に引用する。

手短に言うと、人が棲み着かなかった場所は、長い歴史の中で先達が、棲まない方がよいと経験的に知っていた場所ではないかという洞察だ。「無視して官僚的政治的経済的な立場から」建造物を建てると、自然災害を受けやすいというのである。

今回の原発事故に当てはめて考えてみよう。原発は通常、人があまり住んでいない場所に作る。もしかたら全く住んでいない場所かもしれない。しかしそこは、日本という世界的に見ても珍しいほど自然災害が多く、かつ、長い歴史をもつ国においては、「危険」な場所である可能性が非常に高い。したがって、原発が建造される場所は、過酷な自然災害を覚悟せねばならない可能性が高いのである。

寺田の洞察を裏返せば、安全なところは、人が昔から多く住んでいるところだ。例えば、奈良、京都。あるいは東京。永らく人が住んだところには、それだけ歴史的文献も多く存在しているだろう。過去に起きた震災を調べやすい。

人が棲んでいない場所に、まだあまり自然災害の試練を経ていない原発を作る。その危険性を、寺田は80年近く前にそれを察知していたかのようである。

寺田寅彦「天災と国防」より引用

見やすさのために加藤が改行、強調文字色を挿入。

 今度の大阪や高知県東部の災害は台風による高潮のためにその惨禍を倍加したようである。まだ充分な調査資料を手にしないから確実なことは言われないが、最もひどい損害を受けたおもな区域はおそらくやはり明治以後になってから急激に発展した新市街地ではないかと想像される。

 災害史によると、難波や土佐の沿岸は古来しばしば暴風時の高潮のためになぎ倒された経験をもっている。それで明治以前にはそういう危険のあるような場所には自然に人間の集落が希薄になっていたのではないかと想像される。古い民家の集落の分布は一見偶然のようであっても、多くの場合にそうした進化論的の意義があるからである。

 そのだいじな深い意義が、浅薄な「教科書学問」の横行のために蹂躙され忘却されてしまった。そうして付け焼き刃の文明に陶酔した人間はもうすっかり天然の支配に成功したとのみ思い上がって所きらわず薄弱な家を立て連ね、そうして枕を高くしてきたるべき審判の日をうかうかと待っていたのではないかという疑いも起こし得られる。

 もっともこれは単なる想像であるが、しかし自分が最近に中央線の鉄道を通過した機会に信州や甲州の沿線における暴風被害を瞥見した結果気のついた一事は、停車場付近の新開町の被害が相当多い場所でも古い昔から土着と思わるる村落の被害が意外に少ないという例の多かった事である。

 これは、一つには建築様式の相違にもよるであろうが、また一つにはいわゆる地の利によるであろう。旧村落は「自然淘汰」という時の試練に堪えた場所に「適者」として「生存」しているのに反して、停車場というものの位置は気象的条件などということは全然無視して官僚的政治的経済的な立場からのみ割り出して決定されているためではないかと思われるからである。