松本清張の素晴らしきデータ分析力と論理構成力:「点と線」を読んで

最近見た、松本清張 原作「点と線」のTVドラマ版(ビートたけし主演)のことを最近、拙ブログ「」で書きました。そこで書いたように、ドラマはとても良くできているのですが、見ていて、腑に落ちない事がいくつかありました。同ブログの最後に書いたように、ドラマ後半で明かされる、アリバイ作りのメイントリックが納得行かない。ちょっと肩透かし気味。それ以外にも、納得が行かない点が幾つかありました。(内容を書きたいのですが、ネタバレになるといけないので控えておきます)気になって2回見てみたのですが、やはり納得行かない。

点と線 (新潮文庫)

点と線 (新潮文庫)

原著の記述がどうなっているかが気になり、原著を読んでみました。私、松本清張原作の映画版は有名な、「砂の器」とか、「天城越え」とか見ているのですが、文章をあまり読んだことがありませんでした。今回は、文章やストーリ校正も意識しながら読んでみました。

結果を先に書きますと、私が感じた謎はすべて氷解しました。アリバイ作りの「メイントリック」は、基本的には変わらないのですが、原作では、「メイントリック」の部分はそこにだけ謎解きのフォーカスが当たっている訳ではなく、パズルのピースの一つ(大きめのピースですが)に過ぎません。

読んで気付いたのは、松本清張の素晴らしい文章力が素晴らしいことはもちろんのこと、それに加えてデータ分析と、論理構成力の素晴らしさです。この作品は、いわゆる社会派ミステリーおよび時刻表ミステリーの草分けと思われますが、リアルな時刻表からこのシナリオ校正を引き出しているようです。元々松本清張が時刻表マニアだったのかどうかは知りませんが、緻密なデータ分析能力を持っていると感じられます。ここで書かれていることが当時の時刻表で、リアルに可能とすれば、そのリアリティはぞっとするほどのものだったでしょう。何しろ、やろうと思えば、同じ事を実行できてしまうのですから。しかもこの小説が世に知られていなければ、事件解決はおろか、事件性があることにすら気付かない可能性があります。

松本清張の経歴を見てみると(Wikipedia松本清張」)、同氏は生家が貧しく、1924年、尋常高等小学校を卒業した後、某電気会社の給仕となっています。それから、自力で読書力、文章力を身につけていったことを、今回調べて初めて知りました。「点と線」を何度も読み返しながら、相当の高学歴の持ち主かなと想像していたところ、意外でした。同氏の文章に淀みはなく、さすがに素晴らしい文章力。さらに興味深いことは、その論理展開力は、研究者に通ずるものがあるところです。何を示せば、自分の証明が完成するのか。常にそれを念頭に置きながら、構想をねり、また、文章構成を進めている様子が感じ取れます。正に数学的な証明をするかのよう。あるいは、システムの性能実験をする際に、何を調べれば、目的とすることが示せるのは、ひとつずつ丹念に、注意深く研究を進めていくさまに、驚くほどよく似ています。

「点と線」は、仮想的、虚構的に作られたアリバイの物語を付き崩しながら、リアルな物語を再構築していくという構成になっています。実際私は、仮想空間上での時間と空間の移動を描き、そして、リアル空間上での時間と空間の移動を点と線を使って絵に書いてみました。正に仮想空間と現実空間の間の、点と線のマッピングこそが、この作品のテーマなのです。

この本のタイトルは、2つの死体(2点)が線で結ばれているという連想から命名されたことと思いますが、先の絵を書いてみると、松本氏の頭の中(もしかしたらメモ用紙の上)にはこれと同様の絵があったものと思われ、その意味においても、「点と線」というタイトルはふさわしいと思いました。

ちなみに、私はコンピュータシステムの中でも、特にオペレーティングシステムを研究テーマとする者ですが、オペレーティングシステムのメインテーマの一つは、仮想空間からリアル空間へのマッピングです。インターネットや、クラウドコンピューティングの環境になっても、このメインテーマは変わりません。松本清張が描いた仮想ーリアル・マッピングは、私の胸の中に強く印象に残りました。

私にとって意外なことでもありましたが、同氏は芥川賞作家だったのですね。しかし、その前に直木賞候補にもなったようです。私が物心ついた頃から今日に到るまで、芥川賞直木賞はすっかり性格分けされ、その距離はかなり開いている印象です。松本氏が受賞した時代にどうういう状況だったか詳しくは知りませんが、芥川賞直木賞の両方の候補になる作家、やはり、図抜けた才能の持ち主だったのであろうと思います。

同氏が「点と線」を発表したのは49歳のとき。現在の私と同じ年。「点と線」松本清張に目覚めた私は不思議な因縁を感じています。