なぜ筑波山に天の浮橋が?

 昨日の拙ブログ「日本は筑波から作られたという話」に対して、増井俊之さんから「つくばから淡路島を作ったんでしょうか?」との鋭いご質問をTwitterで頂きました.古事記の最初は下記のように始まります.(太字は加藤)

青空文庫「古事記物語」1章より引用:

 世界ができたそもそものはじめ。まず天と地とができあがりますと、それといっしょにわれわれ日本人のいちばんご先祖の、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とおっしゃる神さまが、天の上の高天原(たかまのはら)というところへお生まれになりました。そのつぎには高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神産霊神(かみむすびのかみ)のお二方(ふたかた)がお生まれになりました。
 そのときには、天も地もまだしっかり固(かた)まりきらないで、両方とも、ただ油を浮(う)かしたように、とろとろになって、くらげのように、ふわりふわりと浮かんでおりました。その中へ、ちょうどあしの芽(め)がはえ出るように、二人の神さまがお生まれになりました。
 それからまたお二人、そのつぎには男神(おがみ)女神(めがみ)とお二人ずつ、八人の神さまが、つぎつぎにお生まれになった後に、伊弉諾神(いざなぎのかみ)と伊弉冉神(いざなみのかみ)とおっしゃる男神女神がお生まれになりました。
 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)はこのお二方の神さまをお召(め)しになって、
「あの、ふわふわしている地を固めて、日本の国を作りあげよ」
 とおっしゃって、りっぱな矛(ほこ)を一ふりお授(さず)けになりました。
 それでお二人は、さっそく、天(あめ)の浮橋(うきはし)という、雲の中に浮かんでいる橋の上へお出ましになって、いただいた矛(ほこ)でもって、下のとろとろしているところをかきまわして、さっとお引きあげになりますと、その矛の刃先(はさき)についた潮水(しおみず)が、ぽたぽたと下へおちて、それが固(かた)まって一つの小さな島になりました。
 お二人はその島へおりていらしって、そこへ御殿(ごてん)をたててお住まいになりました。そして、まずいちばんさきに淡路島(あわじしま)をおこしらえになり、それから伊予(いよ)、讃岐(さぬき)、阿波(あわ)、土佐(とさ)とつづいた四国の島と、そのつぎには隠岐(おき)の島、それから、そのじぶん筑紫(つくし)といった今の九州と、壱岐(いき)、対島(つしま)、佐渡(さど)の三つの島をお作りになりました。そして、いちばんしまいに、とかげの形をした、いちばん大きな本州をおこしらえになって、それに大日本豊秋津島(おおやまととよあきつしま)というお名まえをおつけになりました。

古事記の出だしを眺めながら思った雑感

  • 「天と地ができあがりますと」から始まっており,天と地はどうやって出来たかは書いてないのですね.聖書とは違う世界観.聖書の世界観では,どうやってこの世をできたかを考える(「そこに光りあれ」で,考えていませんけど)ところから始まっているのとはちょっとちがう.究極を考えようとする西洋文化との違いを感じる.
  • 「われわれ日本人のいちばんご先祖の、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とおっしゃる神さまが、天の上の高天原(たかまのはら)というところへお生まれになりました」から二つのことを思う.その一,日本人の先祖は天御中主神という神様.つまり我々は神様の子孫.その二,神様も「生まれている」.神様を生んだのは誰だろう? このアバウトさも日本的か.
  • よく読むと,矛先のついた潮水が下界へ落ちて小さな島を作り,神様二人はその島に下りて,そこに御殿を造り,それからまず淡路島を作ったとある.筑波山からいきなり淡路島ではないので,可能な範囲かと思われます.
  • 一番最後に本州を作っているので、本州にある筑波山天の浮橋があるのは変ではありますが、日本はもともとおおらかな国ですから、まぁよろしいのではないかと。

なぜ天の浮橋筑波山にあることになったのか?

 次のような理由が考えられます.

  • 天の浮橋は雲の上に浮かんでいる。だからそれなりに高い山の上にないといけない(ただし、筑波山日本百名山中で最も標高が低いらしい)。