科学技術と事業仕分け

 11月20日朝日新聞朝刊23頁「科学予算,かみあわぬ議論」という少し前の記事を引用させてもらいながら,科学技術予算に関する「事業仕分け」に関するコメントを書きます.

文科省「1位がとれなければ、様々な競争分野で日本が不利になる」

仕分け人「このスパコンができなければ日本の研究が世界一になれない、ということはないでしょう」

 なぜ文科省が「1位がとれなければ、様々な競争分野で日本が不利になる」と答えたか?

理由1.理学系の分野には,一番でないと駄目という文化がある.典型例がノーベル賞.最初に発見,成し遂げた人が,原則,すべてを持っていく.一番と二番の差は限りなく大きい.工学系の分野でも新規性が問われるが,理学系の方がより際立っている.スパコンは基本的に理学系の人が使う.

理由2.世界一が好きな日本人は多い.そもそも日本人は「世界」という言葉に弱い.島国だから.日本のスパコンが世界一を獲得というニュースが流れたら,マスコミはきっと好意的な報道をしたでしょう.政治家も,スパコンや,世界一が好きな人は多いらしい.そもそも,「世界一」という錦の旗を立てなかったら,この予算はそもそも成立しなかったんじゃないかな.

理由3.昨今は「ITゼネコン」と言われるようになった大手計算機メーカは,「世界一ですか,簡単ではないですけど,お国のために頑張りましょう.だけどお金は掛かりますよ」と申し立てていたでしょう.

 個人的見解.実のところは,スパコンが瞬間的に1位を取らなくても良いでしょう.仮に日本が一位を取ったら,おそらく,米国の計算機メーカは内心ほくそ笑み,米国内の危機感を煽り,ロビー活動をして米国の国家予算を取る好材料にするでしょう.日本においては,そういう競争に単発「巨艦」主義で参戦するより,もっと賢く,日本の科学技術の発展に真に貢献する,スパコンユーザに取って有用なスパコンを作ること,そして出来ればそれが日本の計算機業界の建設的な発展に寄与するように,緻密な戦略を練ることが重要でしょう.
 米国では,この辺のところを,DoD, ARPA, NSF, IBM, Intel辺りの賢い人達が,国家安全保障もからめ,賢く,緻密に練っていると思われます.

文科省「科学の進展のためには一日も早く作ってほしい。今あるスパコンと全く違う新しい世界が広がる」

 量が質に転じる.これを事前に予測するのは難しいでしょう.つまり,転じないリスクも覚悟して,やってみないとわからない.ただしこれは悪いことではなく,そもそも科学技術の先端は常に,リスクと同居しています.研究予算をかけて研究すれば,100%成果が出るというものではない.人知が及ぶのは,成果が出る確率を可能な限り上げるよう努力すること.

たんぱく質の構造解明をめざす事業(同46億円)について、文科省側は、5年で578億円を投じた先行研究で創薬や医療に直接結びつく結果が出なかったことを踏まえ、再検討してから始めた経緯を説明した。仕分け人は「580億円かけて実用的な成果がなくて、その反省に立ってなんて、そんな気楽なものの言い方は信じられない」。

 全く新しい科学技術の発展にはお金が掛かる.何が成功するか,やってみないとわからない事は多い.欧米はそうやって,科学技術を発展させてきました.日本は明治時代以来,科学技術の輸入中心で,安いコストで科学技術を輸入,コピーしてきました.これからも,先端研究は欧米にまかせ,あるいは新興の中国等に任せ,日本は輸入,コピーで,経済性重視で行きます,という戦略はあり得るのかもしれないけど.世界から尊敬されることはないでしょう.

 てなこというと,「世界から尊敬される必要,ありますか?」と突っ込まれるかもしれない.

 でもおそらく,この辺りが非常に重要な議論.明治以来,日本の「成功モデル」であった,輸入,コピー,二番煎じ,そして改良で行くという戦略は,今でもプラクティカルな戦略で,実際,これを実質的,あるいは,結果的にやっている企業は多いはず.

仕分け人「長い歴史があり、これで何が得られてきたか検証する必要がある。定量的に説明してもらえないか」

文科省「非常に難しい質問。こんな賞を取ったとか、発表した論文の質や量では出せるかと思うが、経済的に数字で見せるのは苦しい」

 学術界では,発表した論文の質や量が,研究評価を定量的な数字にするときに使われます.このとき,論文の「質」は引用数,インパクトファクター(どれだけ有名な論文誌,国際会議で発表したか)という量がよく使われます.それよりも突っ込んだ定量的評価は難しい.ここで仕分け人が問うているのはおそらく,経済的な定量的評価でしょう.

 でもね,アインシュタイン相対性理論の経済的価値を定量的に評価できますか? ノーベル賞をとったカミオカンデは? ダイナマイト,X線ペニシリン,青色ダイオード等の社会・生活に直結しているものはおそらく,経済的に評価可能でしょうけどね.そういうものばかりじゃない.

仕分けに出席した文科省の職員からは「政治主導で方向性を示してもらわないと、我々に言えることには限度がある」と戸惑う声が聞かれた。

14年間停止中の高速増殖原型炉もんじゅの仕分けでは、仕分け人がいら立ちを見せた。「基本計画でこうなっているからやりますという答えが来る限り、政策として大事にしないといけないとは思うが、もう一つ踏み切れない」

 役所は,政策を実行するところ.政府が定めた「基本計画」を忠実に実行するのが本業.そうでなかったら,叱られる世界.「基本計画でこうなっているからやります」としか言いようがない.既に策定された基本計画の是非を考えるのは,文科省の権限を超えている.変えたいのならば,基本計画そのものを政府として変えるのが筋でしょう.

結局、もんじゅの運転再開は容認されたが、必要性の結論は出せずじまい。とりまとめ役の枝野幸男衆院議員は「もんじゅの必要性を論じようとすればエネルギー政策での位置付けが欠かせない。だが、そこは文科省の所管ではない。仕分けに上げたのが失敗かもしれない」。

 きっとそうです.何でも「事業仕分け」可能と考えるのは変と,皆思ったはず.財務省主計局は,それを本業としてやっている珍しいところ.今回は,皆でそれをやってみたということ.

一方、事業仕分けの結果を受け、相澤益男・元東京工業大学長ら総合科学技術会議有識者議員8人全員が19日、「科学技術を短期的な費用対効果のみでみるのはなじまない」などとする緊急提言を発表した。

 総合科学技術会議有識者議員の皆さんも同意見の様子.

蓮舫民主党参院議員(仕分け人):「税金をお支払いして後押しした国民は10年後に何を実感できるのでしょうか?」

科学技術・学術戦略官(文科省):「これはハコモノではなく人です。野球でいえばチームをつくろうと。この日本の地において世界の優秀な研究が行われることで、日本の研究成果が高まっていくことです」

蓮舫議員:「とても上品はお言葉をお使いになりますが、もっと具体的に。夢とか研究とか高い水準とか、それはもうわかりましたので」

 前述のように,科学技術は,一般的な道路工事やビル建設,あるいは,成功したものの文化輸入と違って,やってみないとわからない事がむしろ一般的なんですよ.つまり,誰かがリスクを取って投資しないと,先に進まないのです.でもこうおっしゃるかもしれませんね:「だから二番でいいでしょう,安いんだから」

 以下は引用させていただいた朝日新聞記事の執筆者,行方史郎氏のご意見:

もうひとつ気になった点があります。仕分けの評価は、「とりまとめ役」と称される人の裁量で、ひとつの結論にまとめられます。

たとえば、女性研究者支援の事業では、「50%予算縮減が4人、3分の1程度の縮減が2人、予算要求通りが3人」で、「半額程度の縮減とさせていただきます」と会場では発表されました。

えっ? 9人のうち3人が「要求通り」なのに、なぜ?

さらに、厳しいやりとりがあったにもかかわらず、どうして3人は「要求通り」と評価したのでしょうか、その理由を聞いてみたくても、個人名は公表されないのでできません。この結果は後で、「3分の1程度の縮減」に修正されたようですが、「わかりやすい結論」を求めすぎることにも危うさを感じました。

 同感.アバウト過ぎ.