コンピュータと原爆を発明した男,フォン・ノイマン

 今日,我々が日常的に使用するコンピュータは,一つのハードウェア上で,さまざまなソフトウェアを動作させることによって,さまざまな機能を実行させることができる機械である.この方式はstored program方式(プログラム内蔵方式)と呼ばれ,別名,ノイマン方式と呼ばれている.ノイマンは,情報工学を学ぶ者にとって,知らない者はいない著名数学者である.

「爆発」の数学的研究

 その著名科学者が,原子爆弾の開発に関与していたとは耳にしたことがあったが,これほどまでに深く関与していたということは,最近,Wikipediaノイマンに関する記述を読んで知ったことは,先の拙ブログで述べた.

 上記「ノイマン」のページはほぼ,Wikipedia英語版の「ノイマン」の記述の抄録版になっている.英語版では,"Nuclear eapons"という項目により詳しい記述がある.

Beginning in the late 1930s, von Neumann began to take more of an interest in applied (as opposed to pure) mathematics. In particular, he developed an expertise in explosions―phenomena which are difficult to model mathematically.

拙訳:

1930年代後半,フォン・ノイマンは,応用数学に興味を持ち始めた.特に爆発―それは数学的なモデル化が難しい―の技術を開発した.

 ノイマンが開発した爆発の理論は「爆縮レンズ」と呼ばれる.爆縮レンズの説明の項によれば,長崎に落とされた原爆以降,世界の核兵器の多くがこの技術を用いているらしい.当時,コンピュータがないため,ノイマンら計算が得意な数学者らの手によって10ヶ月以上の時間を要して計算されたとある.ノイマンが,コンピュータの開発にも深く関わったのは,このときの経験が深い動機になっているのかもしれない.

 原子爆弾とコンピュータ,いずれもその出現により,人間社会を根本的に変えることになった,影響力が極めて大きい発明に関わった,人類史上でも稀有の科学者であるといえよう.

爆発の効果を高める方法

 私が最も強い衝撃を受けたのは,日本語ページにおける次の箇所である.

この分野での彼の主要な結果に、大きな爆弾による被害は爆弾が地上に落ちる前に爆発したときの方が大きくなる、というものがある。この理論は、広島と長崎に落とされた原子爆弾にも利用された。

 英語ページでは,より詳しく解説されている

In a visit to Los Alamos in September 1944, von Neumann showed that the pressure increase from explosion shock wave reflection from solid objects was greater than previously believed if the angle of incidence of the shock wave was between 90° and some limiting angle. As a result, it was determined that the effectiveness of an atomic bomb would be enhanced with detonation some kilometers above the target, rather than at ground level.[15]

拙訳:

1944年9月にロスアラモスを尋ねたとき,フォン・ノイマンは,固体物質からの爆発衝撃波反射からの圧力は,従来信じられていた,衝撃波が90度周辺のときよりも大きい時であることを示した.その結果,原子爆弾の効果は,地上で爆発させるより,地上の目標物よりも数キロメートル高い位置で爆発したときの方が大きいということがわかった.(文献15)

 文献15とは,下記である.

Lillian Hoddeson ... . With contributions from Gordon Baym ...; "Lillian Hoddeson, Paul W. Henriksen, Roger A. Meade, Catherine Westfall (1993). Critical Assembly: A Technical History of Los Alamos during the Oppenheimer Years, 1943-1945. Cambridge, UK: Cambridge University Press. ISBN 0-521-44132-3.

この文献の発行年は1993年.ノイマン原子爆弾技術へのこの「貢献」は,英国ケンブリッジ大学出版会から出版されたこの文献により始めてはっきりと分かった可能性がある.

 私は,1980年頃から情報工学を学んでいるが,ノイマンの名前は早くから知っているが,彼の核開発に関することはほとんど知らなかった.おそらくそのことは,米国においても,軍事秘密に関わることでもあり,ベールに包まれていたのかもしれない.

そして,広島と長崎

 Wikipedia広島市への原子爆弾投下」に下記の記述がある.

相生橋よりやや東南の島病院付近高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした

 Wikipedia長崎市への原子爆弾投下」には下記の記述がある.

スウィーニーは直ちに自動操縦に切り替えてビーハンに操縦を渡した。工業地帯を臨機目標として、高度9,000mからMk-3核爆弾ファットマンを手動投下した。ファットマンは放物線を描きながら落下、約1分後の午前11時2分、長崎市街中心部から約3kmもそれた別荘のテニスコート上空、高度503mプラスマイナス10mで炸裂した。

 私は以前,長崎の平和祈念公園を訪れたことがある.公園内に原爆落下中心碑がある.この碑のそばに立ち,この真上500メートルで原爆が爆発したと思うと,戦慄を覚えたことを記憶している.

 ノイマンの説によれば,「地上の目標物よりも数キロメートル高い位置で爆発したときの方が大きい」のであるが,なぜ,地上500〜600メートルでの爆発であったのか? おそらく,当時の飛行機性能で,投下者が爆発の影響を避けるのに要する飛行時間を考慮すると,地上500〜600メートルとすることが必要だったのかもしれない.

 ノイマンの説が正しいとすれば,高度が低いほど,爆発の影響は小さく,被爆者数も少なかったはずである.ノイマンがロスアラモスを訪れる前に信じられていた説によれば,爆発は地上で起きていた可能性がある.つまり,ノイマンの分析により,被爆者数は飛躍的に増えた可能性があるのだ.面積に関係するとすれば,おそらく,2乗のオーダーで.

 ノイマンは,科学者であり,原爆投下の実行者ではなく,意思決定者でもない.また,ノイマンの説があったとしても,実施責任者は別人である.ノイマンは科学者として,科学的な分析を行っただけではある.しかし,いささかの無邪気さ,いや,無邪気過ぎる科学する心を感じてしまう.このようなことを知った今,ノイマンという名前を見聞きするときに,被爆国の一国民として,複雑な思いを持たずにはいられない.

 ノイマンがいなくても,おそらく,コンピュータは発明されたし,原爆も発明されたであろう.しかし,人類が2回しか経験していない原爆の投下結果は違ったものになっていたかもしれない.

Twitterでのご意見

 そうかもしれませんね.これは自分には解けると思うと,解いてしまう研究者の自然な性(さが).