広島の風景(4) 広島平和記念資料館

広島平和記念資料館を見ながら学び,感じたこと.

世界はもちろん,米国国民にも極秘で進められた「マンハッタン計画」.写真はテネシー州オークリッジのウラン濃縮工場.アメリカ国内19州とカナダの合計37カ所に設けられたという.極秘と良いながら,とても大規模な工場が建設されていたことに驚く.3年の歳月,20億ドルの経費.とてつもない国家予算が投じられたんだね.

R0014920 - バージョン 2

ここで語られている「投下の要因」はかなりの驚きだ.一つは戦後の国際社会でソ連より優位に立つため.これはよく聞いた理由.もう一つ.「20億ドルと,最大12万人以上を動員して開発した原爆が戦争終結につながったと,アメリカ国内向けに正当化する必要もありました」巨額予算をかけて作り始めたからには,「成功」せねばならないと.「国家プロジェクト」の宿命だ.もちろん,そんな都合で原爆を落とされた方はたまらないのだが.

R0014922 - バージョン 2

これがその根拠となる手紙.こういうものまで公開してしまうところはすごいね,米国.

R0014929 - バージョン 2

原爆を投下するに当たり,その準備は非常に注意深く進められたようである.下記のパネルは,日本の各地に,模擬爆弾「パンプキン」を投下して,投下の訓練をしたという話.広島には敢えて落としてない.悟られぬよう.そして広島が投下先に選ばれてから,しばらく攻撃は停止されたそうである.原爆による攻撃の効果測定を正確に行うためだそうだ.

R0014931 - バージョン 2

エノラ・ゲイ号はグアム書等の一つテニアン島を出発して広島に向かい,高度9,600mで原爆を投下,43秒後,広島の上空600mで爆発させた.地面近くでなく,比較的高い高度で爆発させたのは,かのフォン・ノイマンの「発見」であると思われる.後述のように,原爆の中に精密な高度計を搭載し,正確に高度を調整したものと思われる.もしこの高度がもっと低ければ,その被害はもっと小さかったと思われる.「最適化」されたのだ.「死の最適化」なるものがあったことを知ったとき,私は凍り付いた.(以前のブログ,「コンピュータと原爆を発明した男,フォン・ノイマン」参照)この図を見たとき,それが実感として伝わってきて,その場に立ち尽くした.

核攻撃を受けた直後の広島.

R0014936 - バージョン 2

上空から見た爆心地,平和記念公園

R0014943

模型で再現された市街地.Before原爆.
R0014940

原爆で破壊された市街地.After原爆.

R0014938

こんな風に,地上600mで原爆は爆発した.

R0014945

遠景.

R0014944

原爆の構造.よく見ると興味深い構造になっている.左側の,爆薬でウラン235でできた「砲弾」を,爆薬で右側のウラン235「標的」に打ち込む.そうすると中性子発生源から中性子が放出され,中性子の連鎖反応により,核爆発が起きる.高度感知レーダーアンテナが装備されている.

R0014947 - バージョン 2

原爆投下に先立って,原爆炸裂に伴う気圧や温度の変化を観測するための爆発測定無線装置が落下傘で投下されたそうである.今でいうセンサーネットワーク・ノードだ.

R0014950 - バージョン 2