広島の風景(3) 平和記念公園
いつかは実物を見てみたいと思っていた原爆ドームである.
1個の爆弾で20万人の市民の命が奪われ,半径2Kmの市街地が壊滅した.昭和20年,西暦1945年8月6日.
今から66年前.私が生まれた,僅か17年前の出来事.今から17年前と言えば,1994年.Windows 95が発売された頃.インターネットが世に広まり始める頃.
「原爆の子の像」の碑.
「原爆の子の像」.
像を取り囲むように,千羽鶴のブースが設けられている.
正式名称,「広島平和都市記念碑」.
Wikipediaによれば,設計は丹下健三で,当時東京大学助教授.広島平和記念公園も丹下健三の設計によるらしい.このブログを書きながら初めて知った.
丹下健三は1913年生まれ.慰霊碑の建立は1949年(丹下36歳).平和記念公園の完成は1954年(丹下41歳).広島平和記念資料館(1955年)も丹下の設計である.
平和記念公園の敷地内の、広島平和記念資料館と原爆ドームを結ぶ直線上に設置されている。原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから、屋根の部分がはにわの家型をしている。中央の石室(石棺)には、国内外を問わず、亡くなった原爆被爆者すべての氏名を記帳した名簿が納められている。