低価格化努力がデフレを招くのか?

千円を切るジーンズ、99円のセータを売ることはいけないことか?

 1月4日朝日朝刊で3面に浜 矩子氏(同志社大学教授、マクロ経済分析、国際経済専攻)の、「デフレ経済と社会、共存共栄を探るべき」と題したインタビュー記事が掲載されている。その趣旨は下記のようだ。

  • 千円を切るジーンズ、99円のセータ等が登場するのはおかしい。
  • 今はデフレ。そして、良いデフレはありえない。
  • 01年頃から日本経済はグローバル競争に巻き込まれていく。私はグローバルジャングルと言っているが、生きるか死ぬかの国際競争だ。日本は、バブル崩壊後であったが、欧米に遅れながらもジャングルに足を踏み入れた。
  • 日本人は安売りが求められていると、何とかして、究極の低価格商品を作ってしまうきまじめな日本人がいる。欧米ではあきらめてしまうでしょう。「蟹工船」の世界、恐怖の自分食いだ。
  • どうすればよいか? 高価な商品を買う人には「1割を公的派遣村のために上乗せして頂けませんか」という。99円のセータでもおつりの1円を募金箱に入れもらう。

 経済学を専門とする研究者の意見ではあり、私は経済学は門外漢であるが、どうも腑に落ちない。
 自由主義経済においては、価格を決定するのは市場の重要な役割ではないのか。それは「法則」のようなもので、通常は市場での価格を操作することはできない。もし価格を操作するようなことをしたら、それは自然法則に逆らうようなものであり、自然ならぬ市場のしっぺがえしにあう。もし価格の人為的な操作ができるとすれば、何らかの不正行為をしているか、もしくは自由主義ではない経済を運営しているかだ。
 99円のセータを売っても、その品質が顧客を満足させるものでなければ、いずれは売れなくなるだろう。そのセータを作る、輸送する、販売するのにはさまざまなコストを要する。そのコストに耐えながら、99円でセータを売っている。99円のセータからは、利益はでないかもしれない。しかし、それで集客し、トータルとして利益を出せば良い。

かつて日本が経験したこと

 しばらく前、いろいろなものが輸入自由化されたとき、つまり日本の市場を開放したとき、日本国民はさまざまな心配をした。例えば、外国米の輸入、あるいは、航空券販売価格の自由化だ。
 外国で安い物価、人件費で作られた米が輸入解禁されたら、日本の米などひとたまりもないと恐れおののいた。米農家だけで、我々一般消費者も、そうなるだろうと予想していた。「一粒足りとも米は輸入させない」と米農家が気炎を上げていた時代であった。
 米が不作で足りなくなり、外国から緊急輸入せざるを得なくなったときがあり、実施された。そのときに何が起きたか、我々の予想とは異なる事が起きた。人々は輸入米を食べたとき、改めて、日本のお米が、少なくとも我々日本人にとっては、とてもおいしいものであることを強く認識させられた。そもそも、米の種が違ったのだ。日本人が食べ慣れてのはジャポニカ米と呼ばれる種。日本人は、高い日本製の米を求めあちこちの米店、スーパーパケットを探しまわった。
 航空券も同様であった。昔、日本で買える航空券は高かった。あるときに自由化され、日本に乗り入れる外国の飛行機会社も増え、格安航空券が出まわるようになった。その時我々は、日本の航空会社(JALANA)は到底競争には勝てないのではないかと思った。しかし、日本の航空会社は凌ぐのに成功した。高くても日本人は、日本人好みのサービスをしてくれる日本の航空会社の有難味を再認識し、たとえ値が高くても、喜んで買った。

コンピュータ分野では

 コンピュータ分野はもっとドラスティックである。最も初期のパソコン用日本語ワープロソフト「松」は18万位であった。しかしワープロ専用機が180〜200万円くらいしていたから、パソコンハードウェアの分を入れても安かった。その後、一太郎は5万8千円という低価格設定で出てきて、大きな国内シェアを獲得した。しかし、マイクロソフトがさらなる低価格で参入してきた。マイクロソフトワープロは世界で販売されているものをローカライズしたものであったが、その後、最初から世界向けの設計をしたワープロが作られるようになった。世界をマーケットとするか、日本だけをマーケットとするか、その利益効率は明らかである。にもかかわらず、未だに一太郎は生き残っている。企業努力で頑張っているのだ。
 マイクロソフトのオフィススイートは、初期の頃は英語版しかなく、20万程度の価格であった。今は5万円程度だ。この低価格化はおそらく、世界的な大量生産で可能になっている(Windows OSで儲けた利益をオフィスに回している、あるいは、その逆を行っている可能性はあるが)。日本のメーカ、あるいは、Mac上のソフトウェアは圧倒的に販売数が異なるにも係わらず、頑張って生き残っている。機能は増えても、価格は変わらないか、むしろ下がっていく。競争を延々と繰り広げているのだ。
 パソコンの電子メールサービスは、当初は有料が当たり前だった。しかしその後、無料が当たり前になり、現在に至っている。検索サービスは、いずれ有料化されると思っていたが、直接的な有料化はされず、「インターネット上の広告モデル」という独特なビジネスモデルが切り開かれた。これも企業努力である。
 ワープロも電子メールも安かろう、悪かろうでは売れない。安くても、あるいは無料であっても、ユーザのニーズに応えていなくては、広くは受けいられなかっただろう。大変だけれども、つらいけれども、機能面・価格面で人智を働かせて工夫を競い合うのが、自由主義経済における経済活動の健全な姿であり、文化を発達させる原動力であろう。