「加藤和彦」氏に関する話

 ときどきネット上で勘違いされますが、私は、フォーク・クルセダース以来の、ミュージシャン加藤和彦の一ファンではありますが、「加藤和彦」をネットネームにしているわけではありません。このページもネットボットがかいているんじゃないですよww。単純に、本名です。私が「加藤和彦」ネタを書くとややこしいのですけれど。


 加藤和彦が突然亡くなり、テレビで特集が組まれたり、過去の作品の再発売がされているようです。

 これまで映像はレーザーディスクでしか発売されていなかったと思いますが、サディスティック・ミカ・バンドの晴天 LIVE IN TOKYO 1989がやっとDVD化されるようです。ずっと以前から私がDVD化を待ち望んでいたタイトルの一つ。

晴天 LIVE IN TOKYO 1989 [DVD]

晴天 LIVE IN TOKYO 1989 [DVD]

 それから追悼企画で、「あの素晴らしい愛をもう一度」が再発売のようです。

memorial single~あの素晴しい愛をもう一度~

memorial single~あの素晴しい愛をもう一度~


 ここまで書いて終りにしようと思ったら、加藤氏に関して気になる記述をネット上で見つけてしまいました。

デイリースポーツオンライン「500人で追悼唱!加藤和彦さんに届け

 10月に長野県軽井沢で自殺した音楽家加藤和彦さん(享年62)のお別れの会となる「KKミーティング」が10日、都内で行われ、精神科医で「ザ・フォーク・クルセダーズ」の盟友・きたやまおさむ(63)、吉田拓郎(63)ら500人が集結した。発起人のきたやまは、加藤さんと来春に「ザ・フォーク-」の再結成を約束していたことを初告白。
。。。
 生前の加藤さんは、自殺の翌日に届くよう近しい人に“遺書”を送っていた。きたやまは「文書の始めは『ごめんね。約束を破ってごめんね』でした」としんみり。生前の加藤さんと2つの約束をしていたことを語り始めた。1つは、大学教授の職を辞するきたやまの退職を記念して来春、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を再結成すること。そして、もう1つは「絶対に死なないこと」だったという。
。。。
 「あいつが死んで2、3週間は泣いて過ごしましたが、だんだん腹が立ってきた。あいつは、文書の最後に『追悼式やしのぶ会はやるな』とまで書いてたんです。それをぶち壊してやりたいと思い、今回の会を開きました」ときたやま。愛情を込めて、天国に皮肉をぶつけた。

 坂崎幸之助さんが、最近の同氏のFM番組でKKミーティングでの様子をしゃべっていた。加藤氏は「あの素晴らしい愛をもう一度」の最後をリタルダンドすることを嫌い、禁じていたそうなんですが、頭に来たからみんなでリタルダンドしてやりました、と言っていました。

 北山 修氏に関するWikipediaに興味深い記述を見つけました。

2009年10月の加藤和彦の死去に際しては朝日新聞産経新聞に「きたやまおさむ」名義で追悼コメントを寄せた。それらの中で「すべてが一流のプレーヤー」と評し、一人の人物の中に音楽家と演出家という、2つのあり得ない役割が両立できるがゆえに、なかなか自身は満足が得られない天才の不幸を指摘。老後をともに過ごす楽しみを失った友人として、また病を食い止めるべき精神科医としての無念を記している[1]。


10月19日に関係者だけで行われた加藤の密葬では出棺前に挨拶し、「加藤君には2人の人間がいた。1人は楽しく明るく前向き。もう1人は厳しく完全主義で怒ると怖い人。今回はそのもう1人が自分を殺してしまったんだと思う。曲を制作する時は人の意見も聞いてくれたんだけど、最後の幕引きでみんなの意見を聞いてくれなかった」と述べた[2]。


注1. 「食い止められず無念」精神科医きたやまおさむが追悼文ZAKZAKニュース 2009年10月19日
注2. 北山修さん、加藤さんの分まで「オレは生きちまっただと言いたい」スポーツ報知2009年10月20日

 精神科医&研究者らしい、北山さんの非常に鋭い分析です。

 最後に。昔から北山さんのファンでもありますよ。自切俳人の深夜放送、聞いてました。「自切俳人とヒューマンズ−」も好きでした。